音楽演奏の研究・開発・教育を循環させるパイプライン

研究の目的

私は、芸術文化の進化と持続可能性の実現を目指し,音楽を愛する全ての人が、より豊かな表現(Creativity)を創造し続けられる社会の実現に取り組んでいます.

創造的な表現を生み出すためには,その妨げとなる“心身の拘束”を取り除くことと,表現に結び付いた脳・心・身体の働きを自在に操作できることが不可欠です.アーティストが思い描いた表現を創出するための技能や練習法およびそのメカニズムを解明し,熟達支援と故障問題の解決を目指したダイナフォーミックス研究により,心身の拘束から解放された望ましい表現の創出とアーティストの感動体験の創造を実現します.

研究内容と社会実装

アーティストが創造的な表現を生み出すためには,芸術教育と身体教育の相乗効果が不可欠です.

芸術教育は,主に感性や知識を育み,解釈を深めるもので,美学や音楽学,西洋音楽史や楽理など,そのための学問は確立されており,それに基づく芸術教育は世界中の芸術大学や音楽大学などで教えられています.

身体教育は,生体の機能と技能を高め,思い通りの表現を生み出すための技能を洗練し,心身のトラブルを回避する教育です.アーティストへの身体教育の多くは十分なエビデンス(証拠)に基づいて行われておらず,間違った努力により潜在的な能力を最大限発揮できずに苦しんだり,ジストニアや腱鞘炎など身体を傷めるアーティストは,今なお後を絶ちません.

創造性を十分に発揮するボトルネックは芸術教育と身体教育の相乗効果を生み出す研究・教育基盤の欠如にあると考え,音楽家をサポートするダイナフォーミックスという新しい学術領域の研究・教育基盤の確立と整備に取り組んでいます.

ダイナフォーミックスの研究・開発の成果は,音楽家のための身体教育プログラムPEAC」(Physical Education for Artists Curriculum)にシームレスに組み込まれ,音楽家に届けられます.PEACは,レクチャーやハンズオンのコーチング,テクノロジーを用いた生体機能や技能の評価や推薦を提供します.これは音楽大学やピアノアカデミー等で提供されます.

さらに,音楽家や音楽演奏についての研究を通して,巧みさや不自由さを生み出す脳の可塑性の仕組みやその限界突破のメカニズムを解明することも目指しています.

詳細はこちら(Music Excellence Projectの全容)

研究アプローチ

熟達支援と故障問題解決を実現するためのアプローチとして,「脳と身体の動作原理の理解による,道具・人工物の最適な利活用」に取り組んでいます.

バイオフィードバックや非侵襲脳刺激装置,VR/ARやAIといった道具や人工物は,熟達支援やリハビリテーションのための強力なツールとなります.しかし,単にそれらを「そのまま」使用するだけでは,道具の恩恵を最大に受けることはできません.

一例を挙げると,非侵襲脳刺激を用いた音楽家のニューロリハビリテーションは,刺激装置を単に使用するだけでは効果はありません.しかし,「両手指を動かす際に,左右の脳が運動情報をやり取りしている」という脳の動作原理を活用し,両手指を用いた運動訓練と非侵襲脳刺激を組み合わせることで,症状の低減の実現に成功しました(Nature Japanの紹介記事).

このように,脳と身体の働きをサイエンスによって理解し,生体医工学やロボット工学の技術を活用して開発した道具・人工物を「最適な方法で」利活用することで,熟達やリハビリの効果を最大化し,研究と開発の相乗効果を生み出すことによって,エキスパートの限界突破の実現を目指します.

研究姿勢

音楽家としての視点と問題意識に基づき,アーティストが「できないことができるようになる喜び」を生み出すことを,目標とします.

さらに,神経科学や工学,心理学といった学術領域に,新しい知見や概念,手法を提供する学術意義の創出に挑戦しています.特に,エキスパートの脳神経系や筋骨格系は,一般と異なる特徴であるため,熟練したアーティストの研究成果は,生体の持つ未知の可能性を理解する稀有な情報を提供します.