エネルギー効率を極限まで高める運動技能を解き明かす

一流のピアニストは、2時間に及ぶ演奏会で、最後の一音まで素晴らしい音楽を奏でることができます。そのためには、長時間演奏し続けても手や腕の筋肉を疲労させない、特殊な運動技能を習得していなければなりません。また、身体に無駄な力を入れたまま演奏を続けると、手や腕を傷めてしまうリスクが増大します。では、身体にかかる負担を最小にし、「力まずに」ピアノを演奏する技術とは、具体的にどのようなものなのでしょうか?これが、私の最も重要な研究テーマの一つです。

ピアニストの演奏技術は、コンマ何ミリ秒の レベルでの力の入れ方や抜き方、関節を動かす順序やその速度など、およそ肉眼で識別できるものではありません。したがって、私はこれまでに、ハイスピードカメラや筋電図、フォースセンサーを用いて、ピアノ打鍵動作における肩から指先までの動きを精緻に計測し、ピアニストとピアノ初心者の身体の使い方の違いについて調べてきました。さらに、身体の動きの背景に潜む力の作用(力学)を明らかにするために、ロボット工学の分野で開発された計算手法を身体動作の解析に応用することで、手や腕の関節に生じる様々な力を算出する非線形運動方程式を立てました。それにより、打鍵動作を行う際に、どの関節に、どんな力が、どのタイミングで作用しているかについて詳細に調べてきました。

その結果、ピアニストは慣性力や重力といった「筋力以外の力」を効果的に利用し、同時に、指先が鍵盤から受ける力によって手や前腕の筋肉に作用する負荷をうまく逃がす腕の使い方をすることで、打鍵時の指や腕の筋肉の仕事量を軽減させていることが明らかとなりました。さらに、そのような特徴は、より大きな音量の音を出すときほど顕著となることがわかりました。一方、初心者ではそのような身体の使い方は見られず、主に筋力のみに依存した打鍵動作を行っていました。これらの結果は、ピアニストが幼少期からの長年に渡る訓練によって、「筋力以外の力をうまく使ったり、逃がしたりすることで、身体に無理なく楽に打鍵する」スキル(技能)を獲得し、その結果、長時間に渡るハードな演奏を、難なく行なっていることを示唆しています。

現在までのピアノ演奏法は、演奏家や指導者の感覚と経験のみに基づいたものでした。もちろん、これらの中には素晴らしいメソッドがたくさんあります。しかし、どの弾き方が、どういった意味で有効なのかを実証する証拠は報告されてきませんでした。これらを明らかにすることは、演奏者の手や腕の故障発症を予防する画期的な演奏・指導法を開発する礎となるものであると同時に、演奏者が身体の不自由さから解放されて、より自由な音楽表現を実現する手助けとなる具体的な情報を提供します。このようなピアニストの巧みな身体運動技能の解明を通じて、誰もが思い描いた音楽表現を健やかに創造できる世の中を作ることを目指しております。

JST CREST Crest Muse 研究紹介ビデオ(古屋: 5分21秒~)

<学術上のキーワード>多関節運動、階層性制御、逆動力学計算法、伸張性・短縮性筋収縮、冗長性、自由度問題
<主な参考文献>
(1) Furuya S, Osu R, Kinoshita H (2009) Effective utilization of gravity during arm downswing in keystroke by expert pianists. Neuroscience
(2) Furuya S, Kinoshita H (2008) Expertise-dependent modulation of muscular and non-muscular torques in multi-joint arm movements during piano keystroke. Neuroscience