motor control 

(1)ピアニストの「力まない」運動技能を解き明かす

 一流のピアニストは、2時間に及ぶ演奏会で、最後の一音まで素晴らしい音楽を奏でることができます。そのためには、長時間演奏しても手や腕の筋肉が疲労しない演奏技術を習得していなければなりません。また、身体に無駄な力を入れたまま演奏を続けると、手や腕を故障するリスクが増大します。では、身体に無理なく、「力まずに」ピアノを演奏する技術とは、具体的にどのようなものなのでしょうか?これが、私の最も重要な研究テーマです。

 ピアニストの演奏技術は、コンマ何ミリ秒のレベルでの力の入れ方や抜き方、関節を動かす順序やその速度など、およそ肉眼で識別できるものではありません。したがって、私はこれまでに、ハイスピードカメラや筋電図、力センサーを用いて、ピアノ打鍵動作における肩から指先までの動きを精緻に計測し、ピアニストとピアノ初心者の身体の使い方の違いについて調べてきました。さらに、身体の動きの背景に潜む力の作用(力学)を明らかにするために、ロボット工学の分野で開発された計算手法を身体動作の解析に応用することで、手や腕の関節に生じる様々な力を算出する運動方程式を立てました。それにより、打鍵動作を行う際に、どの関節に、どんな力が、どのタイミングで作用しているかについても調べてきました。

 その結果、ピアニストは慣性力や重力といった「筋力以外の力」を効果的に利用し、同時に、指先が鍵盤から受ける力によって手や前腕の筋肉に作用する負荷をうまく逃がす腕の使い方をすることで、打鍵時の指や腕の筋肉の仕事量を軽減させていることが明らかとなりました。さらに、そのような特徴は、より大きな音量の音を出すときほど顕著となることがわかりました。一方、初心者ではそのような身体の使い方は見られず、主に筋力のみに依存した打鍵動作を行っていました。これらの結果は、ピアニストが幼少期からの長年に渡る訓練によって、「筋力以外の力をうまく使ったり、逃がしたりすることで、身体に無理なく楽に打鍵する」スキル(技能)を獲得し、その結果、長時間に渡るハードな演奏を、難なく行なっていることを示唆しています。

 現在までのピアノ演奏法は、演奏家や指導者の感覚と経験のみに基づいたものでした。もちろん、これらの中には素晴らしいメソッドがたくさんあります。しかし、どの弾き方が、どういった意味で有効なのかを実証する証拠は報告されてきませんでした。ここでご紹介した研究結果は、演奏者の手や腕の故障発症を予防する画期的な演奏・指導法の開発の礎となるものであると同時に、演奏者が身体の不自由さから解放されて、より自由な音楽表現を実現する手助けとなる情報を提供します。このようなピアニストの巧みな身体運動技能の解明を通じて、誰もが思い描いた音楽表現を自由に創造できる世の中を作ることを目指しております。

JST CREST Crest Muse 研究紹介ビデオ(古屋: 5分21秒~)

<学術上のキーワード>多関節運動、階層性制御、逆動力学計算法、伸張性・短縮性筋収縮、冗長性、自由度問題
<主な参考文献>
(1) Furuya S, Osu R, Kinoshita H (2009) Effective utilization of gravity during arm downswing in keystroke by expert pianists. Neuroscience
(2)
Furuya S, Kinoshita H (2008) Expertise-dependent modulation of muscular and non-muscular torques in multi-joint arm movements during piano keystroke. Neuroscience

(2)腕全体を使って音色を変える

 演奏家は、表現したり、聴衆とコミュニケーションする手段の一つとして、多種多様な音色を使い分けられることが不可欠です。ピアニストの場合、それは鍵盤への触れ方、押さえ方になりますが、それらを対象にした研究は行われてきませんでした。音色を変えるための鍵盤への触れ方や腕全体の使い方を包括的に理解するためには、運動制御学音響工学心理学の手法を横断的に組み合わせることが不可欠です。

 その最も基本的な仕組みを解明するために、
ピアニストに「手を持ち上げてから打鍵する」「鍵盤から指を離さずに打鍵する」という異なる二つのタッチで打鍵してもらい、その際の手や腕の筋肉の働きや、鍵盤に加える力の特徴について調べました。その結果、鍵盤のそばから押さえる後者のタッチの方が、ピアノ音に混入する雑音が少ないこと、および、鍵盤に加える力が滑らかなこと、さらには、そのようなタッチを作り出すために、ピアニストは、指を伸ばした状態から肩関節を前に瞬発的に回転していることがわかりました。さらに、後者のタッチによる音の音色の方が「やわらかく」知覚されることが、心理物理実験の結果、明らかになりました。つまり、「指先から腕全体の“しならせ方”を変えることで、ピアニストは音色を変えている」わけです。

 本研究で
確立した手法および得られた知見ベースに、今後、「音色を操る身体の使い方」を解明するためのシステマティックな研究を展開していきます。具体的には、①多種多様なタッチを生み出す身体の使い方の解明、②タッチと音色を結びつける脳の情報処理の仕組みの解明、③連続して指を動かしていく中でタッチを変えるためのスキルの解明を目指します。

<学術上のキーワード>多関節運動、順・逆動力学計算法、モザイクモデル、心理物理、聴覚心理
<主な参考文献>
(1) Furuya S, Altenmuller E, Katayose H, Kinoshita H (2010) Control of multi-joint arm movements for the manipulation of touch in keystroke by expert pianists. BMC Neurscience
(2) Kinoshita H, Furuya S, Aoki T, Altenmuller E (2007) Loudness control in pianists as exemplified in keystroke force measurements at different touches.  Journal of Acoustical Society of America

(3)演奏時に「音を聴く」役割

 ピアニストは、演奏時に音の様々な表情を聴きながら、時々刻々と変化する指や身体の動きをコントロールしています。しかし、ある一つの音から聴こえる情報が、意図した演奏を実現する上でどのような役割を果たしているかについては、これまで一切研究されてきませんでした。

 私は、ピアノの音量やピッチ、あるいは音が鳴るタイミングを、自由自在に変えることができるシステムを開発し、演奏者が予想した音とは違う音を聴かせることで、「演奏時に聴こえる音が、指を思い通りに動かすために、どのような役割を担っているか」について明らかにしようとしました。例えば、「ラ」の鍵盤を押すと「ド」が鳴ったり、衛星電話のように音が遅れて聴こえてきたり、そっと触れているのに大きな音が鳴ったりするわけです。

 その結果、音が鳴るタイミングを遅らせると、その後のテンポを一時的に早くすることで、脳はテンポが遅れないようにしようとすることや、打鍵の強さを一時的に強めることで、耳の代わりに指からの感覚情報をより多く取り入れようとすること、また、違うピッチの音が聴こえてくると、演奏者の記憶が乱されてミスタッチをしてしまうこと、さらには、右手で弾いた音を変化させると、左手の指の動きにも影響が出ることなどを明らかにしました。

 これらの研究を通して、学術面では、「演奏時に、音と動きを結びつける脳の情報処理の仕組み」を解明することを目指しています。また、演奏支援の面では、「伴奏技能の向上」「舞台上でのパフォーマンスの向上」を視野に入れた研究を展開していきます。伴奏については、
多くの楽器奏者や声楽家と共演するピアニストにとって、相手と調和の取れた演奏をするためには、相手のを音をよく聴きとって自分の演奏を調節する能力が不可欠です。また、舞台で演奏する際には、普段の練習とは違った音響環境で演奏するわけですから、必ずしも予想した音が鳴りません。これにどう適応するか、どうすれば早く適応できるかについて、今回開発したシステムを用いて解明することを目指します。

<学術上のキーワード>聴覚フィードバック、フィードバック制御、感覚運動適応(Sensory-motor adaptation)、連続指運動制御
<主な参考文献>
(1) Furuya S, Soechting J (2010) Role of auditory feedback in the control of successive keystrokes during piano playing.  Exp Brain Res