ピアノ演奏による身体の問題をこの世から無くすために

局所性ジストニア

私の研究のメインテーマの一つは、局所性ジストニア」 という脳神経疾患です。この疾患は、ピアニストの手指、バイオリニストの左手指や右腕、ドラマーやギタリストの腕、管楽器奏者の口(アンブシュア・ジストニア)といった身体部位に発症し、発症部位を思い通りに動かせなくなったり、感覚異常が起こったりすることが知られています.時に演奏家生命を絶つこともある恐ろしい疾患です。

服薬による治療やボツリヌス毒素注射による治療が現在の主な治療法ですが、薬理治療は副作用の問題が、ボツリヌス毒素注射は訓練と経験を積んだ神経科医による高度な医療技術が必要という問題があります。脳内で起こっている望ましくない変化を元に戻す再訓練法も近年注目を集めていますが、万人が完治するに至る治療法は未だ確立されていない現状です。

私は、ハノーファー音大のEckart Altenmuller 教授およびゲッティンゲン大のMichael Nitsche教授Walter Paulus教授らと共に、局所性ジストニアの背景にある脳や神経の働きを解明し、さらには、脳内で起きたましくない変化を元に戻すための新しい神経リハビリテーション法を開発することを目指した研究に、精力的に取り組んでいます。加えて、診断の難しい局所性ジストニアを「機械学習」という手法を用いて定量的に診断する技術の開発も行っております。これらの研究を通して得られた成果は、(1)より信頼度の高く簡便な診断法の開発、(2)局所性ジストニアの運動機能回復、(3)発症因子の同定による局所性ジストニア発症の予防に貢献することが期待されます。

疫学・バイオメカニクス研究

腱鞘炎や手根幹症候群、局所性ジストニアといった、ピアノ演奏によって発症する様々な手や腕の故障の問題は、19世紀以降、世界中のピアノ演奏者を悩ましてきました。しかし、その発症機序や予防法については、未だほとんど解明されていない状況です。事実、私自身、ピアノで手を傷めた経験があるのですが、それを根治する有効な治療法や解決法が世界的に見ても確立されていなかったため、研究を始めた経緯があります。 

国内のピアノを専攻する音高生、音大生、ピアニスト、ピアノ教師計203名に対して大規模なアンケート調査を行った結果、回答者の割以上が、ピアノを演奏あるいは練習していて、手や腕、肩に痛みや痺れなどを経験したことがあるとの報告を得ました。さらに詳細な統計分析を行った結果、演奏者の手の大きさは故障発症のリスクファクターではなく練習時間奏法演奏者の性格(例:神経質か)などが故障発症に関与する因子であることが同定されました。さらに、年齢により、故障を発症する身体の部位が異なることが明らかになりました。 

では、ピアノ演奏時に手や腕にはどれくらいの力学的・生理学的負荷がかかっているのでしょうか?各筋肉に作用する負荷量を定量化するために、筋電図を用いて、ピアノオクターブ連打時の上肢の筋活動を計測しました。その結果、前腕の伸筋(総指伸筋)と上腕の伸筋(上腕三頭筋)の負荷量は、他の上肢の筋肉に比べて顕著に大きいことが明らかとなりました。

とはいえ、打鍵時の手や腕の使い方や筋肉の負荷量には、ピアニスト間で個人差があります。統計学の手法である重回帰分析と、機械学習の手法であるクラスタ解析を組み合わせることによって、ピアニスト18名のオクターブ連打動作の個人差を評価しました.その結果、ピアニストが音量とテンポを同時に増やしていく際の身体の使い方は、大きく3パターンに分類することができました。この結果を筋活動のデータと結びつけることにより、どんな弾き方をす人は、どの筋肉の負荷が高いか」を同定することに成功しました。この研究から、ピアニスト個人個人がどの筋肉を傷めるリスクがあるかを、目に見える「動き」のパターンから推定することが可能になったと同時に、ある筋肉を傷めてしまった演奏者が再発を防止するためには、どのような奏法(身体の使い方)を身につけるべきかの指針を与えてくれます。

リストやラフマニノフ、プロコフィエフといった演奏会、コンクールで頻繁に弾かれるヴィルトゥオジック(技巧的)な楽曲では、高速度でのオクターブ連打が多用されることから、現在「身体に少ない負担で高速連打する奏法」の解明を目指した研究を推進しております。また、オクターブ以外にも、トレモロトリルアルペジオ時の3次元動作分析・筋活動計測を既に実施しており、その結果を随時学術論文にまとめております。さらに、脱力を支援する練習方法の開発を目指した運動学習研究にも取り組んでおります。

<学術上のキーワード>バイオメカニクス、個人差、疫学、予防医学、フォーカル・ジストニア、ニューロ・リハビリテーション、経頭蓋電気刺激(tDCS, TMS),医療診断技術
<主な参考文献>
(1) Furuya S, Nitsche MA, Paulus W, Altenmuller (2014) Surmounting retraining limits in Musicians' dystonia by transcranial stimulation. Annals of Neurology
(2) Furuya S, Aoki T, Nakahara H, Kinoshita H (2012) Individual differences in the biomechanical effect of loudness and tempo on upper-limb movements during repetitive piano keystrokes. Human Movement Science
(3) 
Furuya S, Nakahara H, Aoki T, Kinoshita H (2006) Prevalence and causal factors of playing-related musculoskeletal disorders of the upper extremity and trunk among Japanese pianists and piano students.  Medical Problems of Performing Artists

※日本語での解説論文 ⇒ PDF